躁鬱喜多方らーめん希死念慮マシマシ

最近は湿度が高くて気持ちのいいとは言えない日が続いている。テンションが上がりきらない。けれどもそんな毎日でもお腹は空くわけで、暑さに項垂れながらラーメンを食べている。そういや最近Uber eatsでラーメンを頼むという禁忌を犯してみたのだが、中々に美味しかった。背徳感が他の食べ物より群を抜いている。煮卵おいしいよね、白身がしょっぱ過ぎるのが良い。

 

とはいえやはりラーメンという食べ物の美味しさをちゃんと味わうのなら店に行くべきだと思い、家を出た。徒歩10分圏内に何店舗かありどこに入るか迷いつつ、また空ききっていないお腹を減らすべく暫くぶらぶらと散歩する。

家は割と都会にある筈なのだが、意外と昔ながらの店も多くてなんとなく懐かしい気持ちにさせられる。駄菓子屋なんて入ったこともないのに、既視感が強いのは何故だろう。入ってみたいな、なんて思うが中途半端に大人になって恥じらいを身につけたが故それは叶っていない。

 

歩いていると次第に猛烈な悲しみに襲われた。

虚無感とでもいうのだろうか。大学に入ってからは特に襲われることが多くなったのでホームシックに近いものなのかな、なんて笑うことしてラーメンを食べた。

その時ふと昔とある人と今みたいな感じでグタグタしながら食事をしたのを思い出した。

人の記憶の結びつきは侮れないものだ。

 

ところで思い出した、って言われるのなんかきつくない?と思った今日この頃。

最近昔懐いていた人に、○○をみて君のことを思い出したんだよねぇと言われた。それだけ聞けば嬉しいような気がするじゃない。けど、なんとなく悲しくなってしまった。当たり前なんだけれど私は貴方の意識下にいなかったわけね、と。忘れてたから思い出せるんだよ、とメンヘラみたいなことを言いそうになった。忘れてたというわけではないんだろうけど。それに私もその人からそんなLINEを貰うまで意識下になかったし責められた話ではない。

無いんだけれど、その人が私の事を思っていない意識にイラついた。恋愛的好きなわけではない。けど、想われたい。こんな感情を友達等に向けてしまうのはきっとめちゃくちゃに強欲だからなんだろうなと少し反省した。

まぁしかし病みたくはないので、自分は縛られたくないけれど相手は縛られていてほしいって人々多くない?と正当化してみたりする。なんせ私の周りは自分がある人ばかりでそんな方々が好きな反面、正当化しなければ劣等感的なものに苛まれてしまう。

 

そんなこんなで今日も今日とて泣きながら帰路に着いた。最近涙腺のとおりがいい。2日一回は泣き叫んでる。けれど泣くことは大事とどこかで聞いたので、どこかできいた、そんな不確かな話を信じ泣きながらまたラーメンを食べることにしよう。