誠実さ、というものはどこにあるのか
※かなり乱文になっているので注意
基本的に主張は変えず微妙に書き直したりしてます。
少し前まで茹だるような暑さに辟易していた気もするのだけれど、いつのまにか寒さが厳しい季節になっている。
眠る度に毛布をだそうかなと思うのだけれど、春先の私は何を思ったか自分じゃ手が届かない場所に仕舞い込んだため自力では取り出せない。
少し前までは鬱々と鬱に生きていたのだが、ある程度の諦めを覚え、ここ最近は楽しく生きている。そのため吐き出したい言葉も大してないのだが、ふと友人との会話を思い出し、考えていたので書いてみることにした。
さて思い出した友人との会話はざっくりといえば、誠実さ にについてである。
私は恋愛脳というか、人間が好きなのでよく人間関係のありようについて話すのだがその際によく"誠実さ"というものが話題にあがる。
猫も杓子も口を開けば誠実な人がいいだとか、誠実に人と向き合うことが大切だとのたまっているのを耳にする。
このような書き方をするとまるで私が誠実さを軽視しているように聞こえてしまうがそのよう主張をしたいのではない。
誠実さ、誠実であるということ、はあまりにも多様であるのではないか、安易に使うべきではないか、と思い悩みそれを整理するため今回ここで話す話題にしたのだ。
誠実とはそもそも偽りがなく真面目であること、本当であること、そのさまをさすことばである。
よく私は人のことを覚えていられなくて、注意されてばかりいる。それこそ名前や顔、エピソードがない個人情報は何度も聞かなければすぐ忘れてしまう。話したことは覚えているけれど、それが誰と話したことであったかについては忘れてしまう事が多い。
ついでにいえば、これが特に非難されることが多い行動なのだが人との関わり方にかなりムラを出してしまう傾向にある。例えば一定時期には毎日のようにLINEをし電話をかけ、遊びに誘うけれど、ある日パタリと自分から連絡をとることをやめてしまったり、とか。
嫌いになったわけじゃない。単純にネガティブな意味なく飽きただけなのだ。
同じ文章を読み返すのも勿論楽しいのだけれど、それにも限度がありそれと同じことだと思っている。言い方は悪いがただの人間が、例えば一週間で得られる経験知識エピソードなんてものはたかが知れていてすぐに消費できてしまう。だからまたその子が溜まるまで、違う子と深く関わっているだけにすぎないのだ。
こう言うと短期的にあまりに密に関わるのがいけないのでは?という指摘をされるが読み始めた本は出てる所までは読み切りたい派なのでという解答しかできない。
また人をモノとし消費している事実も否めない。
けれど自分はそんなつもりはなくても、一連の言動から友達には薄情だ、まるで"個"自体には関心がないだとか言われ、最後に、君は人に対して誠実ではないと吐き捨てられる。
まったくもって悲しい話、と思ってしまう。
そもそもその個自体に興味をもつとはなんなのか。持ち関わらなければ誠実ではないのか。
私はいつだって酷く真面目に人と接しているし、そう出来ないのなら接するべきではないとすら考えている。(別に人に強要するつもりはない)
だからその子と関わりたい時しか関わらないし、そうでない場合はそれを表明している。
都合が良いと言えば否定はできないが別に誰しもがそうであると思っているし、自分の感情を偽らず仲良くしたいから仲良くするということが一番の誠実さであると思っている。
またこのような話の際に、困っている時に助ける、助けられるような関係が友達として誠実なのではという指摘を受ける。
しかしそれは短期的な時間のみに許された共同的関係ではないかと思っている。
人間関係の話をすると交換的関係と共同的関係が話題にあがり、共同的関係こそが真の関係かのように語られがちだ。
しかし心理的相合扶助の元に成り立っているようなふわふわとしたものを求めたがる気持ちは理解し難い。
結局のところ助け・助けられることによって得られる相互のメリットの合意によって偶々発生している状態にすぎないと思うのだ。
何かを貰い、何かを与える、その関係は誠実ではないのだろうか。
またずっと友人関係に焦点を当てて話してきたが、深い関わりがある異性との関係はどうなのだろうか。
親交が深い異性の友人の数は、多分人よりもかなり多い方だろう。男好きがと言われてしまえば良い返す言葉は無いし、自分でもある程度の自覚はある。
異性の友人、というものの扱い方はヘテロセクシュアルがマジョリティを占めるこの世界の中では同性の友人とは同じように扱うことは難しく中々厄介な性質を関係に孕みがちだ。
別に何があろうとも好きか嫌いか、ただそれだけでいいような気もするのだけれど、中々そうはいかない。
これはつい最近仲のいい異性の友人に言われた台詞がある。
「君はいつだって人の気持ちがわからないふりをして人の気持ちを踏みにじる。それが一番得で楽だから。」と。
(これは性別関係ないんじゃ無いかと言われそうだが、私はどうにも異性を軽んじるきらいがあるのであえて強調してかいた。)
しかし、これについても私はあくまで相手に対して誠実であるためにしている言動なのだ。
相手の気持ちに寄り添わない、それこそが異性の友人に誠実でいられる唯一の方法と私は考えている。
きっと不快にしないような言動をしようと思えば、もっと優しく甘い言葉を吐こうと思えば、できなくは無いだろう。
しかし、そこに誠実さはあるのだろうか。
私はいかに傷つかせようとも、不快にさせようともそれをなくせば、誠実さは失われてしまうと思っている。
再度書くが、誠実とは偽りなく真面目で本当であることなのだ。
言葉遊びと言われてしまいそうだが、それでも私は私が誠実であるために人を傷つけることを厭わず生きている。
ただ、本当に少しだけれど最近それが誠実であるのかがわからなくなってしまった。
誠実さ、というものはどこにあるのだろうか。
それを私は知り、そう人に接することができるのだろうか。
私は人に誠実でありたい。