75日を辿る決意表明

最近は曇り空ばかり見ているような気がする。

梅雨の時期だし仕方がないとは言え雨が降るようで降らない、そんな微妙な天気は好きじゃない。曇るのであればいっそ清々するぐらい雨が降ってほしい。

 

そんな私は最近の空模様と同じぐらいどんよりとしている。やっぱり外にでて人と接する機会が圧倒的に減ったからだろう。

元々1人が好きだし外にでるのも好まないのだけれど、出ないと出れないというのは違うのだなとこういった時に痛感する。

無性に外にでたくて最近は家の近くのカフェを巡っている、なんて洒落た大学生みたいな趣味も身につけつつある。チェーン店から個人経営の店まで色々なカフェに行ったが、やはり私はルノアールが一番好きだ。

特に大正ロマン風。

厚めの絨毯に、重めの合皮の椅子。灯りはなんとなく薄暗くて、店員さんの服もクラシカルでかわいい。大変かわいい。けどコスパがいいとは言えない、寧ろチェーン店にしては高いだろ、と言いたい値段設定。

味も悪くはないと思うけど、特別贔屓にするほど美味しい訳でもない。

それでも私はルノアールに通ってしまう。

なんでだろ、少し湿っぽい空気感が好きなのかな。結局なんか雰囲気が好きなんやなと適当に結論づけた。

 

ちょっと前、今年の1月末ぐらい。私の心を大層傷つける出来事があった。今思えばまぁそういうこともあるよな、って流させるぐらいの事なのだが、その時は怒りと悲しみでいっぱいだった。しかし今はもはや思い出す事すら稀だ。

あれだけ怒り、泣きわめき、なんなら期末テストさえ放棄して身一つで新幹線にのり大阪に帰っていたというのに。熱海を通過するという新幹線のアナウンスに号泣するのはあれが最後だろう。3列席の真ん中に座って泣いていたので心配したのか両サイドのおじさんがジュースやらお菓子をくれ話を聞いてくれた。

側から見ればなんともシュールな画。

 

そう、これぐらい当時傷つき暴走するような事があっても人というのは簡単に忘れてしまうらしい。その時は苦しみが永遠に続くと感じるのに。けれど、私には未だに一つだけ忘れられない苦しみがある。いや苦しみというか、自分に対して疑問、違和感を感じるキッカケ。

それは私が中学一年生の時に言われた一つの言葉なのだけれど、20を迎えて尚囚われている。

喉に小骨が引っかかっているような状態だ。

75日経てば、そうでなくても時が経てばどんな痛みも忘れられると信じていたのに未だにその小さな傷にはカサブタすらできないのだ。生傷のままである。消えない違和感に苛々する。

 

私に傷を与える言葉を吐いた人とは未だに友人である。といってもLINEも月に数回で、年に一度会う程度の仲だけど。もうすぐその人とご飯を食べる予定がある。別にその出来事があってからも幾度となく会っているし、遊んでいるし別にだからと喧嘩もしたこともない。けれど、私だけが忘れられずいつまでもその小さな傷に囚われている。気持ち悪い気持ち悪い。

 

換気をしようとベランダのドアを開けると、雨に混じって蝉の鳴き声が聞こえてきた。

その人と待ち合わせの時間が近づく。

どうなるか、というか話になるのかすらわからない。私だけが覚えている可能性がでかいのだから。けれど、それでも私は今日、あの時は借りれなかったお酒の力で小骨を流す。

長引きすぎた75日に終わりを告げたい。